
No.20
岸川政之
MASAYUKI KISHIKAWA
多気町まちの宝創造特命監
1957年8月15日生まれ
しし座
血液型:O
出身地:多気郡宮川村

第20回は多気町役場の岸川政之さんです。岸川さんは、日本テレビでドラマ化された「高校生レストラン」 まごの店の仕掛け人でもあります。今年4月から「まちの宝創造特命監」に就任し、ますますその活動範囲を広げられ、全国各地のまちづくり、町おこしにも貢献されています。今回はまごの店にまつわる苦労話など、岸川マジックとでも言うべきいろんな「仕掛け」についてもお話を伺うことができました。
――お仕事や活動について、これまでの経緯を教えてください
多気町役場に就職後、税務、教育委員会、総務、農林商工、住民福祉課、企画調整課、農林商工課を経て今年4月からまちの宝創造特命監に就任しました。有難いことに、私の好きな「まちづくり」、「町おこし」の仕事に専念させていただいています。今年の3月31日まで(まちの宝創造特命監に就任するまで)は県外の自治体などで講演したり、指導したりすることが多かったのです。もちろん個人的な活動なので休みの日などを利用しての活動になります。
例えば、東京のちっちゃな商店街からの依頼で相談に乗ったこともこともあります。活気のなくなってきた商店街でイベントを仕掛けるんですが、町にはすごい事を勉強している専門学校があるとか、素晴らしいお花の先生がいるとか、プロバスケットプレーヤーがいるとか、踊りを一所懸命にやっている幼稚園があるとか、そういった人をみんなで探してもらうんです。そんな人たちが出演するステージがあるような仕組みを作るなどして、商店街の中で、それらすべてをはめ込んでできることを考えてもらうんです。お茶会やデモンストレーションをしたり、宣伝用のチラシも商店街の人たちで作ります。そうすることで参加型となり、それまでやってきた商店街バザーの安売りとか金魚すくいなどがあるようなイベントとは一味もふた味も違った形にしていきます。杉並区の商店街では次年度からモデル事業になったケースもあります。
このようなことは仕事としてやっていたわけではなかったので、まわりに話すこともなくずっと個人的に行ってきました。ところが今年4月からは「まちの宝創造特命監」という役職をいただき、それを仕事として堂々と行えるようになったのです。とても幸せなことです。
――岸川さんにとって、まちづくりや町おこしは天職だったわけですか?
天職だとは思っていません。
私には二つの大きなコンプレックスがあります。それらはなかなか脱却することができませんでした。1つは器用貧乏ということ。自分で言うのも何ですが、ギターを弾いてもある程度弾けて、生意気にも学生時代にはライブハウスでライブをしてお金をもらったりしたこともあるんです。何でも興味を持つと何でもかじって、ある程度出来てしまう。でも自分の中では全部三流なんですよ。本物のミュージシャンを見ると「あー、やっぱりすごいな」って思って、すごく憧れを持つ一方で自分に足りないものが見えてしまって、自信を失くすこともあります。
もう1つは、公務員であることです。周囲からは「役場の人間が何かしとる」とか何をしても行政というフィルターがかかったような目でみられてしまいます。昭和62年以来毎年、桂文我師匠の協力の下「落語会」を開催しているのですが、仕掛けたのは私ですが、決してリーダーにはならないんです。裏方に徹しています。それでも私は満足だったし、十分に楽しかったんです。
輝ける人を見つけて、応援してあげるとか、何かやろうという人たちの中でステージを作ってあげるようなことをずっとしてしてきました。ですから、いつの間にか好きでやっていることが「まちづくり」や「町おこし」に繫がっていったということでしょうか。
私の大好きな親友で、脱サラして農業を始めてトマトを作っている人がいます。その親友が農業をやり始めた頃、トマトを食べた人に「あんたはすごくええ人やけど、このトマトがもっとおいしかったら最高なんやけどなぁ」って言われてすごく落ち込むんですよ。「それやったら一緒に農業を勉強してみよや」って彼に言ったんです。私も農業に関してはシロウトでわからないことだらけです。私は思いついたらすぐ行動するほうで、すぐに土作りを始めたり、余っている廃材などを利用して役場の片隅に農業用のほったて小屋を作ったり、農業や園芸をやりたい人を公募して、専門家を招いて勉強会を開いたりもしました。そうするうちにすごく熱い仲間になってきます。
その後、メンバーたちは「多気有機農業研究会」を立ち上げ、勉強会で学んだ有機農法で育てた野菜をスーパーなどに出荷できるほどのパワーを発揮します。今では立派なブランド野菜として認知されるようになりました。そしてもっと応援したくなるわけですよ。空いているビニールハウスがあると、安く借りられるように交渉して研究会のメンバーに使ってもらう。それが市民農園みたいな感じで広がっていんです。どんどんプラスのスパイラルとなっていって、私が応援してきた農業が輝き始めたのです。
――農業振興には何が必要だと思われますか?
私は常日頃、地元の農業を何とかしたいと思っていました。平成12年4月に今の農林商工課に係長として移動しました。それまでは総務課に9年、財政に7年、殆ど町の人と触れ合う機会などなくて、予算編成や国や県との折衝関係の事務仕事が殆どで、相手にするのは議会の先生方ばかりでした。割り切ってはいましたが、だんだん自分のやりたい事との差が大きくなってきておもしろくなくなっていました。当時の町長に、「今の仕事も長くなってきたし、変わりたいんやったらどこへ行きたいんや?」って聞かれて、即座に「農業をやりたいんです」と答えたのを覚えています。当時、農林商工課は仕事の幅も広く、残業も多かったせいでみんなはあまりその部署に行きたがらなかったんです。それでも私は農業がやりたくてそこを希望しました。
田んぼを借りて米作りをしたり、トマト農家の人たちと土作りをしてみたりもしました。どうやったら農業振興できるやろと考えて、やっぱり専業農家の人にスポットを当てやなあかんと思ったわけです。一定の条件を満たした専業農家の人たち(認定農業者)を支援していく国の制度があるんですが、多気町にも35名の認定農業者がいます。その人たちにスポットを当てようと考えました。まず彼らが作っている生産物にスポットを当てて、間接的に生産者が注目されるように仕向けるんです。野菜、米、観葉植物、果物などを出してもらってイベントを仕掛けようと考えました。
平成14年に開催した「おいしい多気町まるかじりフェスティバル」がそれです。当時飲食禁止だった文化会館を、シートを敷き詰めて絶対に汚さないという条件でお借りし、午前中に料理ライブショー、午後に試食会をやることにしました。料理ライブショーでは、名古屋のテレビ番組にも出演されている有名な料理の先生を招いて地元特産の「伊勢芋」を使った創作料理をライブで披露してもらい、午後は相可高校食物調理科の生徒たちに試食用の料理を出してもらう予定でした。
料理ライブショーは、さすがプロの先生です。アシスタントの方との軽妙なトークで進行もすばらしく会場は沸きに沸いて大盛り上がりでした。料理も1品のはずが2品も作ってくださいました。そしてもう1つの嬉しい誤算は、生徒たちの作った試食用の料理です。とにかくびっくりしました。30品目ぐらい用意されていて、そのまま結婚式をしてもおかしくないほどのレベルだったのですから。
――まごの店オープンまでの経緯を教えてください。
村林先生のことは10年前までは全く知らなかったんです。相可高校にしても県立高校なので多気町の管轄外でしたから行くこともありませんでした。私は「おいしい多気町まるかじりフェスティバル」での生徒たちの料理に惚れこんでしまったんです。こんなすごい先生と生徒たちがこんな近くにいることが嬉しくてたまりませんでした。そして輝く人を見つけるとすぐに応援したくなるのが私の習性です。
その後は週に3日も4日も学校に通いました。食物調理科の村林先生からも電話をいただいたりして毎日のように話をするようになりました。今でも最初に伺ったときのことをよく覚えているんですが、「とにかく先生はすごい!私は相可高校を応援します。応援団としてやっていきたいけど先生を三重県の村林先生にするつもりなどありませんよ。先生には日本の村林になってもらいたいんです。」と先生にお話ししました。その後も私と先生で長い時間夢を語り合っていました。
最初は、うどんを作ろうとか、牡蠣の試食会をやろうとか言っていて、それが1つずつ実現していくんです。そんな中で先生が「学校では教えられないことが2つあるんですよ」と言われて、1つは接客。学校で生徒同士が接客の練習をして、アクシデントがあってもゴメンで済んでしまう。もう1つはコスト管理。普段の授業では与えられた食材を使うだけで、生徒には費用がどれだけかかろうが関係ないわけです。でも実際に店を出そうとしたら、費用に合わせて食材を使わなくてはなりません。原価計算が頭でできていないといけないわけです。
そんな話から「じゃあ先生、店やりますか?」って軽いノリで言ったんです。そしたら先生も「ええなぁ!やろか!」って返事で、その時は先生も軽いノリなんだろうと思ってました(笑)。
その後、この事を何度も話すうちに、先生がかなり本気なんだとわかってきました。私もこの先生と生徒たちやったらやれるんやないかと思えたんです。
そして二人の夢のような話が現実となって動き始めます。
まごの店のある「ふるさと村」は28年前から地元の自治体によって運営されていて、これまでに一度も赤字を出したことがありません。最初、そこに高校生たちの店を出したいと話を持ちかけたときは全く相手にされませんでした。「また行政がややこしいことを言うてきた」と思われていたと思います。もう無理かもしれないと諦めかけていたとき、生徒たちを夏休みにお金はいらないので研修させてほしいと頼んでみたところ、研修ならいいよということで承諾いただき、働いてもらう以上はアルバイト料も払うと言ってくれました。生徒たちは夏休み期間中交代で働かせてもらいました。そして、忘れもしません、平成14年9月10日の役員会のことです。生徒たちのレベルの高さとひた向きさに感動された役員の方たちが、店を出すことを認めてくださったのです。すばらしい生徒たちのおかげです。
先生と私もめちゃくちゃ盛り上がってたんですけど、一つ肝心な事を忘れていました。校長先生にまだ話していなかったんです。次の日、課長と一緒に学校に行き、説明することにしました。私の個人的な学校長という人物像はとにかく保守的で、こんな急な話に納得してもらえるはずはないと思っていたのです。ところが校長先生は「いいことだから、やりましょう!」と即答だったんですよ。
他にもまだまだクリアしなければならない問題が出てきました。もし生徒たちに交通事故が起きたらどうするのか、食中毒が起きたらどうするのか、利益はどうするのかなどいくつも考えられます。そこで、ふるさと村と多気町と学校とで覚書を作りました。「学校には絶対迷惑をお掛けしません。すべての責任はふるさと村が持ちます。ふるさと村が負えないぐらいの損害が出た場合は町がバックアップする」と。そんな形でいよいよGOサインが出ました。
そして10月26日のにオープンに向けて、ふるさと村の自販機コーナーがあるスペースに屋台のようなものを急ごしらえしました。まごの店のオープンのことは、公表することなく進めてきたつもりだったのですが、前日にはNHKが「全国初の高校生レストラン」と報道し、当日も朝から生中継していました。オープンから2週間ぐらいの間には殆どの新聞やテレビなどが取材に来ました。当時はまだ教育委員会にも報告せずにスタートしてしまっていたので、学校に迷惑がかかるんじゃないかと心配していました。しかし世の中そんなに捨てたもんじゃなくて、文部科学省は私たちの活動を奨励してくれたんです。その年、文部科学省は専門技術を勉強している高校に3年間で2000万円の補助をする事業をスタートしました。早速、次の年に応募しました。応募総数60校以上ある中で、相可高校食物調理課の活動が認められ、事業対象となる9校の中の一つに選らばれました。
オープンしたまごの店は当初、屋台のようなお店にテーブル席が少しあるだけでした。メニューもうどんとだし巻玉子、でんがくぐらいしかなく、冬は寒いし、夏は暑いし、客さんも気の毒だし、生徒たちもかわいそうでした。しかも生徒たちはフランス料理ならフルコース、ふぐ料理ならてっさまで作れる腕前なのに、こんな環境では彼らのためにならないんじゃないかと思えてきました。しだいに彼らのために本格的なレストランを作ってあげたいという思いが強くなっていきます。
そして、現在ある場所に新しいレストランを作る構想が膨らんでいきます。県内には県立の工業高校が4校あるんですが、建築を学んでいる生徒にレストランの設計コンペを仕掛けました。1等賞に選ばれた設計でレストランを建築するというものです。コンセプトは「料理人を目指している高校生の夢を、建築家を目指している高校生たちが形にする」。それを周りの大人たちが応援しようじゃないかということです。
最初は3000万円ぐらいなら予算もなんとかなるだろうし、これぐらいあればちょっとしたレストランなら十分建つんじゃないかと考えていました。しかし専門家の意見は、その倍はかかるだろうということで、総務にかけ合い、何とか5500万円ぐらいの予算承認を取り付けることができました。
しかし、実際にコンペで1等賞になったものはドーナツをカットしたような(現在の建物)意外と贅沢な設計で、9000万円もかかることが判明します。当然、そのような予算が出るわけもなく諦めムードでした。
そんな時、県から連絡があり、2000万円の補助が受けられる補助事業が新設されることになったというのです。もちろん大喜びで応募しましたよ。まだこれだけでは足りませんが、県の補助が受けられるのなら町長も承認してくれるということになったのです。
私はこの時点で既に補助が受けられるものと思いこみ、まさか審査があるとは思っていなかったのです。専門家たちの前で何度かプレゼンしたのですが、専門家たちからは厳しい意見ばかりでした。特に土日のみの営業で平日は閉めるということに関しては費用対効果という面でお叱りを受けました。空いている平日に会議や料理教室などに使うこともビジネスとしては当然考えられることですが、このレストランは生徒たちが修行していく場であって、彼らの聖域なんです。妥協することはできないことを伝え、あとは審査を待つばかりとなりました。
結果はなんと、トップに近いグループで審査を通過することができたのです。自信が無かっただけに、本当に嬉しかったです。これでいけるぞ!と。
他にもいつくものドラマがありましがたが、みんなの夢が現実となり、現在の「まごの店」が完成しました。
――他にも新しい仕掛けを考えているんですか?
これも相可高校なんですけど、その中の生産経済科にスポットを当てたいと考えました。地元にある万協製薬の社長にお願いして高校生たちと一緒にハンドクリームを作ってくれませんか?とお願いしたところ、快く承諾いただけたのです。今回は即座に校長にも了解を得ました。ただ今回の生徒たちには少々手を焼きました。先生にもタメ口だし、私の説明にもまともに話を聞こうとしない。これは失敗やったかな...と正直落ち込みました。それでも生徒たちにやるのかやらないのか聞くとと、「やりた~い」って言うんですよ。私も「まあ、ええか」って感じで、付き合っていくことにしました。
商品のコンセプト、パッケージデザイン、入れる成分まで生徒たちが考え、多気町の農産物を何か入れることを条件としました。
普通、こういった商品の開発にかかる日数は2ヶ月ぐらいだそうですが、この子たちの場合は半年かけての開発になりました。時間はかかりましたが、ちゃんと答えを出してきたのです。協力してくださる万協製薬の社長も最初はボランティア感覚だったのですが、この子たちのアイデアを見せられたときに、ビジネスマンの顔になったんです。それだけ生徒たちのアイデアが素晴らしかったということです。私も誇らしく思いました。
これを世に出していくためには生徒の改革も必要だと思いました。生徒たちの言葉遣いや行儀が悪いのはまわりの大人たちの責任でもあります。この子たちはただ知らなかっただけなんです。教えれば何とかなる...そう思いました。
そこで、ビジネスマナーのプロを招いてビジネスマナー教室をしようと考えました。最初は放課後にやらせていたもらう予定で校長にお願いしたのですが、校長は「いいことなんだから、授業としてやりましょう」と言ってくれたんです。相可高校の校長には保守的な考えなど全くありませんでした。
その後、クラブの全国大会でも発表できるようになります。それがまた素晴らしい発表なんですよ。今回、三重県大会で優勝して、東海大会に三重県代表として出場します。あの生徒たちがこれほどまでに成長してくれるなんて誰が想像できたでしょう。
そして「Teaハンドジェル まごジェル」ブランドが立ち上がってくるわけですが、こんな多気町の田舎にある農業科の生徒が考えたブランドが全国に広がるなんてワクワクしますよね。実はこの活動に感動してくださった近江兄弟社さんが、この生徒たちとのコラボ企画で冬にリップクリームを、来年の夏には日焼け止めを商品化してくれるというのです。現在も相互に行き来しながら商品開発を進めてくれています。
――どうして岸川さんの仕掛けはこれほどうまくいくのでしょうか?
そうですね、今のところ成功事例ばかりで失敗事例はありません。失敗しないように最後までやってしまうということもあると思うんですが、もし民間企業などにいたとしたら、コネクションを作って行政との関係を築きたいとか考える人も多いと思います。私はこれまで行政という立場にコンプレックスを持っていたので、民間の立場で民間の人たちの気持ちを理解しながら、いろんなお付き合いをしてきました。そして本業は行政マンです。自然にどちらの立場も理解できるようになったんだと思います。こんなスタンスでやってこれたことが良かったのかなぁと思います。
――岸川さんにとって、一番のターニングポイントとなったことは?
大学受験の失敗です。そこから大きく私の人生が変わりました。私はコンピューターのエンジニアになることが夢でしたので、その学科のある一校に絞って受験したんです。受験当日のことは今でも忘れません。当時の大学ではまだ学生運動が残っていて、その日も確か授業料値上げに反対する学生と機動隊が学内で衝突していたんです。機動隊が学生をこん棒で殴るのを目の当たりにしました。それは酷い有り様で、すごいショックを受けたのを覚えています。その直後に試験を受けるわけですが、試験用紙にポタポタと赤い液体が落ちるんですよ。鼻血です。まわりの受験生にも迷惑をかけるし、パニックになってしまいました...結果は見事惨敗です。それ以降、大学に対しても何の魅力も感じなくなり、失望と絶望以外何もありませんでした。
その後、浪人して入った大学生活ですが、勉強する気にはなれず、アルバイトに明け暮れる毎日でした。そんな学生時代から今日まで、いろんな経験をさせていただきました。ここまで来れたのも学生時代の良き仲間たち、アルバイトでお世話になった方たちなど多くの人に支えられ助けていただいたからだと思っています。平穏な学生生活では味わえないような経験もしましたしね(笑)。
もし、現役で大学に合格してコンピューター業界で成功でもしていようもんなら、今頃は生意気な社会人に成っていたと思いますよ。神様が挫折を味あわせて今の場所へ導いてくださったのかもしれませんね(笑)。
――これから社会に出る人や、起業を考えている人にメッセージやアドバイスをお願いします。
真剣な人になって欲しい。でも深刻な人にはならないで欲しい。世の中にはこれが正解で、これが間違いということはありません。正解の道は1つとは限らないし、いくらでも正解はあるはずです。たとえどんな道でも興味を持つことができれば必ず何かが見えてきます。自分なりの方法で、真剣に生きて欲しいと思います。それと人を好きになること。人を好きにならないと、好きになってもらえませんから。
私は苦しくなると自分の中でルールを作るんです。「3分の1の理論」というのがあるんです。例えば仕事で苦しくなって自ら命を絶つ人もいますが、それは仕事がその人の人生全てになってしまっているからだと思うんです。でも本当の人生は仕事だけじゃなくて、家庭があったり、趣味もあったりします。私自身も仕事で苦しんだことがたくさんあります。ある日松尾芭蕉を描いた劇を見る機会があって、その中に「時は人を裏切らない」という台詞がありました。この台詞が私に気付かせてくれたんです。「どんなに一生懸命やってもやらなくても、どんなに好きでも嫌いでも、時間というのは誰にでも平等に過ぎていくんだ」と。私も仕事が嫌で嫌でどうしようもなかった時などを考えると、職場の自分が全てになってしまっていたんです。そんな時にこう考えるようにしたんです。私には職場の自分と家庭の自分と遊びの自分の3つがあるんだと。でも、その3つ全部で100%じゃなくて、それぞれを100%で生きることができたら私は300%の人間になれる。これはラッキーなことなんだと考えられた時、すごく気持ちが楽になったんです。このポジティブ思考が今の原動力にもなっています。
――座右の銘はありますか?
私が決断する中で重要なのは「勇気」と「畏怖」と「覚悟」です。勇気だけでなく、少し怖れるぐらいの感情も大切。そして最後には覚悟を決める。
――趣味はありますか?
自転車を始めました。私の講演に参加されていた大阪の社長さんがいて、私のことを大変気に入っていただいたんです。その後社長がリーダーを務めるVIXという60才以上の方がメインの自転車サークルに参加させてもらっています。メンバーの職種も様々でとても楽しくやっています。
――多気町の魅力はどんなところでしょうか?
多気町というのは、決して特別な町ではありません。私たちがやろうとしているのは、気持ちは外向きですが、実際には自分たちの足元を見て、地域にあるもの、人、心、歴史などいろんな素晴らしいものを一つ一つ探し出して磨いて、ある時はそれらをくっ付けて光らせる作業をしています。そうすることで、地域愛や郷土愛を高めていこうとしているのです。
多気町でやっていることが、他の町から見ると良く見えるかもしれませんが、みなさんの町でも探せば、いいものや魅力ある人が必ず見つかるはずです。見つけ出して、見つめ直して、地域を、田舎をもっと愛しましょう!
――多気町のおすすめスポットをご紹介ください。
観光地というのではありませんが、ここにも登場された西井さんの経営する「地域資源バンクNIU」を紹介させてください。Iターンで多気町丹生に来られて、多気町の魅力であったり、地域の活性化など、地元にある資源を活用しながら地域を盛り上げようと頑張っている会社です。彼らの企画する勉強会などに是非参加してみてください。きっと新しい自分を見つけることができると思います。
株式会社 地域資源バンクNIU
〒519-2211 三重県多気郡多気町丹生1332-2
TEL:0598-49-4800 / FAX:0598-49-4801
「わらしべリレー」
「元気びと」リレーと同時進行で「わらしべリレー」と題し、物々交換で繋いでいきます。
前回の鈴木知事にいただいた「坂本竜馬の御守り」」と岸川さんにはまごの店と三重伝統文化のコラボ「まごの店伊勢型もめんてぬぐい」を交換いただきました。この「まごの店伊勢型もめんてぬぐい」を持って次の「元気びと」のもとへ!(画像はクリックで拡大します。)
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